歴史<戦国時代の賤ケ岳(しずがたけ)合戦で羽柴秀吉が戦略・・・黒田官兵衛も参戦
<賤ケ岳合戦>黒田官兵衛も参戦していた…秀吉の古文書発見
滋賀県長浜市の長浜城歴史博物館は10日、戦国時代の賤ケ岳(しずがたけ)合戦(1583年)の際、羽柴秀吉が戦略を指示するために自陣に送った古文書を発見したと発表した。文書には「官兵衛」の名があり、秀吉の天下取りを支えた軍師・黒田官兵衛が参戦していたことも明らかになった。同館によると、賤ケ岳合戦の様子は江戸時代の軍記物に記されているが、当事者が戦略まで記した文書は極めて珍しいという。
賤ケ岳合戦は、織田信長の没後、賤ケ岳(現在の長浜市)周辺で家臣の秀吉と柴田勝家が戦い、秀吉が勝利。信長後継者の地位を固め、天下統一の足がかりとした。
文書は、最前線で柴田軍と対峙(たいじ)し続ける弟の秀長(ひでなが)に送った墨書「羽柴秀吉書置(かきおき) 羽柴秀長宛」(縦30センチ、横45.4センチ、同年3月30日付)で、同館が購入した。秀吉の右筆(ゆうひつ)(秘書役)が「(秀吉側の)砦(とりで)周囲の小屋は前野長康、黒田官兵衛、木村隼人の部隊が手伝って壊すべきこと」などとする墨書を記し、秀吉自筆の花押(かおう)「悉(しつ)」がある。
同館によると、当時、砦(陣)外の平地には兵たちの野営小屋が並んでいた。秀吉が小屋の破壊を命じた理由として(1)後方から大部隊を最前線に送り込む時に小屋が邪魔になる(2)小屋の破壊で陣が動いたように見せかけ、敵を先に動かす挑発--が考えられるという。ただ、この命令は実行されず、両陣営は同年4月20、21日に激突した。
同館の太田浩司(ひろし)副館長は「戦略家の秀吉がひらめいた挑発行為の可能性があり、興味深い。この合戦を細かな軍略まで記した史料は極めて少なく貴重だ」と分析。小和田哲男・静岡大名誉教授(戦国史)は「これまで推測でしかなかった、官兵衛の賤ケ岳合戦参戦が確実になった点でも一級史料と言える」とコメントしている。




